昨日まで叔父の法事(神式なので、10年祭)で釜石に行っていました。
釜石に行くことが決まってから、叔母にはどうしても蓬莱島(ひょっこりひょうたん島)に
連れて行ってほしいと頼み込んでいました。
釜石も少しは復興しているということでしたが、
私の見る限り、町に活気が戻っているという状況には見えませんでした。
海沿いはガランとした土地だけになっていました。
そして、鉄骨だけ残っている二階建ての建物や、そのまま放置されている家など、海から近い平地にはそういう建物が随分ありました。
釜石から車で20分ぐらい行ったところに大槌町がありました。
車から見る風景は、とても言葉では語りつくせないほど無残な景色でした。
家の土台だけしか残っていないところが延々と続いているのです。
見渡す限り土台以外何も残っていません。
津波のほかに火事で全部持って行かれたということで、大槌町の辺りはとても酷い地域だったようです。
タクシーの運転手さんが、鉄骨だけ残っている少し大きい二階建ての建物を指して教えてくれました。
「あれが防災センターで、あそこで200人ぐらい亡くなっています。」と。
平坦な土地に建っていた二階建てではとても助かる状況ではなかったようです。
そしてもう一つ驚いたことは、まだまだ瓦礫の山が、ビックリするほど残っていることです。
「みんな助ける助けるって言うけど、いざ瓦礫を引き取って欲しいって言うと、みんな断ってくる。本音と建前が違う」と、運転手さんが言っていました。
同じこの道(一本道)を木村君も通ったんだろうな、という感慨も吹っ飛ぶほどの衝撃でした。
木村君のたどった道を、木村君が見たひょっこりひょうたん島を、見てみたいという安易な思いで、叔母に頼み込んだ自分が恥ずかしくさえなりました。
(なので、大槌町の二階建てのプレハブの商店街に行って、少しでもお役に立てればという想いで、そこで売ってる鮭の形の最中やお菓子を少しですが買わせていただきました。)
木村君も同じような衝撃を受けたんだろうな、という思いは釜石に戻って、少し落ち着いてからでした。
木村君もSmapも、釜石や被災地のまだまだ復興できていない地域に接して、
何かせずにはいられないんだろうなという想いを強くしました。
支援のために心の底から頭を下げ続けているんだろうなと実感しました。
釜石の従兄弟が言いました。
「震災のことなんてもう忘れていたでしょう。」と。
そうかもしれません。
Smapが「スマスマ」で頭を下げ続けてくれなかったらもっともっと忘れてしまうでしょう。
そして、Smapが頭を下げ続けてることをもっと意義あるものにするには今どうするべきか
自問自答しています。
釜石に行くことが決まってから、叔母にはどうしても蓬莱島(ひょっこりひょうたん島)に
連れて行ってほしいと頼み込んでいました。
釜石も少しは復興しているということでしたが、
私の見る限り、町に活気が戻っているという状況には見えませんでした。
海沿いはガランとした土地だけになっていました。
そして、鉄骨だけ残っている二階建ての建物や、そのまま放置されている家など、海から近い平地にはそういう建物が随分ありました。
釜石から車で20分ぐらい行ったところに大槌町がありました。
車から見る風景は、とても言葉では語りつくせないほど無残な景色でした。
家の土台だけしか残っていないところが延々と続いているのです。
見渡す限り土台以外何も残っていません。
津波のほかに火事で全部持って行かれたということで、大槌町の辺りはとても酷い地域だったようです。
タクシーの運転手さんが、鉄骨だけ残っている少し大きい二階建ての建物を指して教えてくれました。
「あれが防災センターで、あそこで200人ぐらい亡くなっています。」と。
平坦な土地に建っていた二階建てではとても助かる状況ではなかったようです。
そしてもう一つ驚いたことは、まだまだ瓦礫の山が、ビックリするほど残っていることです。
「みんな助ける助けるって言うけど、いざ瓦礫を引き取って欲しいって言うと、みんな断ってくる。本音と建前が違う」と、運転手さんが言っていました。
同じこの道(一本道)を木村君も通ったんだろうな、という感慨も吹っ飛ぶほどの衝撃でした。
木村君のたどった道を、木村君が見たひょっこりひょうたん島を、見てみたいという安易な思いで、叔母に頼み込んだ自分が恥ずかしくさえなりました。
(なので、大槌町の二階建てのプレハブの商店街に行って、少しでもお役に立てればという想いで、そこで売ってる鮭の形の最中やお菓子を少しですが買わせていただきました。)
木村君も同じような衝撃を受けたんだろうな、という思いは釜石に戻って、少し落ち着いてからでした。
木村君もSmapも、釜石や被災地のまだまだ復興できていない地域に接して、
何かせずにはいられないんだろうなという想いを強くしました。
支援のために心の底から頭を下げ続けているんだろうなと実感しました。
釜石の従兄弟が言いました。
「震災のことなんてもう忘れていたでしょう。」と。
そうかもしれません。
Smapが「スマスマ」で頭を下げ続けてくれなかったらもっともっと忘れてしまうでしょう。
そして、Smapが頭を下げ続けてることをもっと意義あるものにするには今どうするべきか
自問自答しています。
コメント